ある日放課後の教室で、ソクラテスにとっての「存在」

2013.07.16 Tuesday

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    目次(「南木クラブ・宗教と哲学の部屋」)

    南木倶楽部 宗教と哲学の部屋 対話編

     

    ある日放課後の教室で・ソクラテスにとっての「存在」

     

    定時制高校に勤務していた時、ある日、放課後午後9時ころの教室で片付けをしていると、非常に熱心に私の授業にいつも臨んでいる生徒のA君がやってきた。

     

    生徒 先生のきょうの授業が面白かったので、もっと聞きたくて、質問を持って来ました。今いいですか。

     

     まあ、そこに座れよ。

     

    生徒  先生が授業で、君たちが学校で習っていることのすべては、「今のところそれが正しいとされている仮説」だと仰いましたが、何かすごく分かったような気がしました。「学校で習ったから絶対に正しいなどと決して思うな。とりあえず正しいと思われていることを教えているだけだ。世界中、学校というところはそういうところだ。」と先生は仰いました。「仮説」であると言うことは間違っていたり、先生が嘘を教えていると言うこともあるわけですね。

     

    私  もちろん「仮説」だから、とりあえずそれが正しいと思われるいう意味だよ。間違っているか、もしくは大きな見落としがあるかもしれないという意味だね。学校で習うことだけでなく、世の中に流通しているさまざまな事柄への説明のほとんどが「仮説」なのだから、安易に信じたりせず、自分自身の頭と、心でよく吟味しなさいということを僕は話したね。

     ところで、僕はいろいろな例を話したけれども、君はどの例が一番分かりやすかったのか、教えてくれるかな。

     

    生徒  天動説と、地動説の話ですよ。天動説を信じていた時代は、それはそれで星の運行は予言できたし、学者たちも全く天動説を疑わずに理論を作り上げていたから、一般の人々がそれを信じたのはあたり前だという話ですよ。「惑星」を「遊星」と呼んでいた意味もよく分かりましたよ。

     そして、先生は、もしかしたら、現代の人間も何か重大な見落としがあって、現代人が信じている地動説はやっぱり間違っていたという可能性だって本当にあると仰った。

     それが一番面白かったです。

     

     そうか、それは良かった。良く授業を聞いてくれていて、うれしいね。

     ところで、君は今、何かもっと重大な疑問を抱えている表情で僕のところへやってきたけれど、それはまだ僕に言っていないね。何を聞きに来たのかな。

     

    生徒 そうです、よく分かりますね、先生。

     先生の授業を受けているうちに、とても疑問に思ったのですよ。そしてその疑問の答えを授業の中で仰るかと思ったら、多分仰らなかった。それで聞きに来たんです。

     

     どうぞ、どんな質問でもいいですよ。

     

    生徒  学校で習うことも、世の中で流通している知識も「仮説」で間違っている可能性もあるのなら、「仮説」でない、絶対確実で、間違っていない事は何かあるのでしょうか。それとも、もしかしたら「絶対に正しい」ということは、この世に何も無いのでしょうか。それが質問です。

     

    私 それはすばらしい質問だね。君はちっとも勉強しなくて、中学校時代はけんかばかりしていて「番長」だったらしいけど、本当はすごく頭が良いのではないかと前から僕は思っていたよ。君は自分が他の人より頭が良いと思ったことはないかね。

     

    生徒 えっ、そんなこと言ってもらったのは初めてです。先生は生徒をほめるのが上手ですね。

     

     そんなことは無いよ、君の質問は極めて本質的で、重大な質問だね。

    東大を卒業しても、生涯君が今持った疑問を一度も持たずに人生を送る人もたくさんいるよ。だから、君がすごく頭がいいと言ったのは、君を喜ばすために言ったのではなくて、本当にそう思ったんだよ。

     

    生徒 俺が、東大生より頭のいいところがあるんですか。そういってもらえるとちょっと自信ですね。

     

     そうだよ。君は自信を持っていい。だてに「番長」をやっていたわけでは無くて、中学校で人望もあったんだろう。今だって、君を頼っている生徒はこの学校にもたくさんいるね。君は、「俺たち定時制の生徒は、生涯下積み人生しかないとは思いたくない。」と言うようなことを以前言っていたが、全く正しいね。君のおうちはお父さんが早く亡くなられて、お母さんが小さな商売をしておられるが、君がそれを継いで、大きくして、君が社長になって、東大卒をたくさん雇ったらいいじゃないか。勉強はできなくても、本質的なことに気づく質の良い心を持っている君にとって、そういう人生はいくらでも可能なことだと僕は思うよ。

     

    生徒 先生に「政治・経済」で習った「株式上場と、創業者利得」の話はよくよく覚えていますよ。一代で経済的にのし上がるとはどういうことか良く分かりましたよ。俺でも頑張ったらできるかもしれませんね。あの授業は忘れられないです。

     

    私  それは良かった。君には本気で期待しているよ。人生は長いから、あせらず、しかし、確実に目標を立てて頑張ることだね。

     さて、それではさっきの重要な質問に戻ろう。

     間違いや、見落としがあるかもしれない「仮説」でなく、絶対確実で、間違いのない事はこの世に何かあるのか、という質問だったね。

     実は、僕は君のこの質問に関しては「倫理・社会」の授業で、すでにひとつは話したんだよ。何か覚えているかな。

     

    生徒  えっ、ちょっと分かりません。


     それはソクラテスのことだよ。

    ソクラテスの授業で何か覚えているかね。

    覚えているキーワードを全部並べてくれるかな。

     

    生徒  「無知の自覚」「無知の知」「問答法」「フィロソフィア」「知恵を愛する」「エロス」「ソクラテスの弁明」「プラトン、アリストテレス、アレキサンダー」「饗宴」くらいです。

     

    私 知識として、完璧だね。教科書では、「問答法」によって、結局相手が、最初は「勇気」ということについて、良く分かっているつもりだったのがソクラテスと対話する中で、実は「勇気」という言葉を使っていても、その意味が最終的に良く分かっていないというところへ、追い込まれてゆく様子が紹介されていたね。覚えているかな。

     

    生徒 覚えています。そしてソクラテスは、ソフィストと呼ばれている「知恵ある人々」は自分のことを何か知っているから賢いと思っているけれども、ソクラテスは自分が「無知である」ことを知っている。「勇気」という言葉の意味すら、自分は完璧に説明できない無知である。この無知を自覚しているという点で、自分は無知を自覚していない人々より賢い、と主張するわけですね。

    ソクラテスは結局、人間が普段使っている一つ一つの単語の意味すら、誰も厳密に分からずに使っているということに気づき、これ一本でソフィストたちに議論を吹っかけ、決して議論に負けない方法を見つけたと先生は説明されました。

     

    私 良く分かっているじゃないか。あれだけの短時間の授業でそこまで理解でいたら大したものだ。

     

    生徒 そうすると、ソクラテスの無知の自覚というのはやはり間違いのない確実なことなんですね。

     

    私 君はそう納得できたかね。

     

    生徒 知識としては何となく納得できますが、それで本当に確実なことが分かったような気はあまりしないですね。それに「分からない」ということが「確実だ。」といわれても、あまりうれしくないですね。

     

    私 そうだね。そういう実感は非常に重要だね。

    そうしたら、どうしてこんなことで、ソクラテスはここまで自信を持ち、そしてその後の西洋思想の根幹を、こういうやり方で確立できたんだろうか。

     

    生徒 やっぱりすごいことがあるんでしょうね。最後はアテネの民主主義を守るために死にましたしね。単に口先だけじゃなかったところもすごいですね。「無知の自覚」と「死刑を受け入れる」所の決断の関連がまだ俺が分かっていませんが。

     

    私 そうだね、そこは感覚では理解しやすいが、理屈だけでは最もその関連を理解するのが難しいところだろうね。ところで、授業で僕は、ソクラテスから、一気にアリストテレスまで話を飛ばして、ソクラテスが示した「無知」の中でも、もっとも根源的な「無知」は「存在とは何か」、「あるというのはどういうことか」、という事についての無知だという話をしたのを君は覚えているかな。

     

    生徒 先生は、何かが「ある」と思っているのは、ほとんどそう「信じている」ということと同じだと仰いました。

     

    私 そうだね。神様がいると思っている子にとって、神様は間違いなく存在する。神も仏も、悪魔も、幽霊も、信じない人には存在しない。

     

    生徒 それから先生が「夢」の話をしてくださったのも面白かったです。夢を見ているとき、その夢が「夢」だと気づくまでは、その夢の中に出てきたものを現実だと思っている、そこで見たものを「ある」とその夢の中で人間は思ってしまう。現実の世界で何かがあると思っているのと、その仕組みは同じだと先生は仰いました。

     

    私 そうだね。そしてソクラテスなら、ここをどう考えるだろうか、と僕は問いを出した。

     

    生徒 S君が、「在るということはどういうことが分かっていない無知を自覚せよ。」と叫びました。

     

    私 「そうだ。偉いぞ。」と僕はほめたね。それからさっきの「無知」の中でも、もっとも根源的な「無知」は「存在とは何か」、「あるというのはどういうことか」、という事についての無知だという話をしたわけだ。

     

    生徒 そうですね。でもSはあのとき、そう叫んで、誉めて貰って喜んでいましたが、本当は何も分からずに言ったような気が俺はしますが。

     

    私 そんなことをいってやるとSがかわいそうじゃないか。ではA君。君はそこで何が分かったかね。ソクラテスが「在る」という言葉がどういう意味か最終的には分からない、人間は「存在」について無知であると主張するとき、では、一体その先をどういう風に考えればよいとソクラテスは思ったのだろうか。

     

    生徒 それで、さまざまな物事については、「動物の研究は動物学」、「植物の研究は植物学」、「物質(存在するもの)の研究は物理学、」となったのだけれど、そもそも「ある」ということはどういうことか、についての研究はそれだけを独立させて「物理学を超越した次元」=「メタ・フィジカ・形而上学」とアリストテレスが定めたと習いました。

     

    私 では、結局「存在」とは何だと君は思うかねA君。どうすればそれに近づけるだろうか。ソクラテスはここから先の道を何か示しているだろうか。この先へ進む道が分かれば、君の求める「確実」なことに近づけるのじゃないかな。

     

    生徒 ソクラテスが一発でその先へ行く道を示したのだったら、形而上学なんて難しい学問は不要だったようにも感じますが。とにかくソクラテスでも分からない事を俺が分かるとはなかなか思えませんが、それを知る別の道があればぜひ知りたいですね。

     

    私 それは宗教について学ばねばならないね。宗教はそれは分かっているという立場なんだよ。どの宗教でもそうだ。今後の授業では、君も納得できる厳密さを保ちながら、やさしく、誰にも分かるように、ソクラテスを踏まえて、ソクラテスでも黙るような答えを様々な宗教は出しているか、この問題を考えてゆくことにしよう。

                        (この稿 終わり)






    南木隆治(みなきたかはる) 
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