友の問いに答えて

2013.07.15 Monday

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    目次(「南木クラブ・宗教と哲学の部屋」)

    南木倶楽部 宗教と哲学の部屋 対話編

     

    友の問いに答えて

     

      南木君が昔「反世界論」とも言うべき『ゴータマシッダールタの冒険』を書いたころ、僕は何度も君と話しをして、君の分かったことはいわゆる「禅」の『悟り』と全く同じなのか違うのかを語り合ったものだ。君は「多分同じのはずだが、違うとしたらそれはその『禅者』の方が何か間違って会得しているのだ。」と言っていた。

     その後君は公立高校の教員でありながら、保守活動家になった。

     当初は僕も、友人たちも、君が右翼にでもなったのかと思っていたが、今になってみれば、君は日本人としてごく当たり前のことに気づいただけで、少しだけ早く世界の流れが見えていただけだとも言えるね。

     この君の変化と、君の『悟り』との間に関係はあるのだろうか。

     

      同時にいくつものことを聞かれているようなので、ひとつずつ答えてゆくことにしよう。

     僕がその、「反世界」と名づけた一種の根源的な体験を持ったのが22歳、書物にしたのが34歳だから、この間でも10年以上の時間が流れている。この間に僕は自分と同じことを考えている人間はどこかにいないのかと探し回って、どうやら以前から宗教の一部として知っており、自分の家もその檀家である禅宗と言うのは、僕が気づいたこととよく似ているらしいとか、あるいは、多くの宗教において「偶像崇拝の禁止」を定めているのは、実はこの重大なことを、その宗教の本質として定めていたからなのか、とか、いろいろ勉強し、考え、気づいたわけだよ。

     

     僕は大学卒業後1年間民間の大手企業に勤務して、その後1年浪人して、その1年で教職の免許を取り、教員採用試験にもその年にパスしたのだが、もともと大阪の高校で「倫理・社会」と言う科目での採用がその当時あったから、君も知っている通り、経済学部なのに哲学書や、心理学書ばかり読んでいた僕たちにはきわめて採用試験に有利だったわけだね。専門試験はほとんど何も勉強しなくてもできたような気がする。

     高校時代の「倫理・社会」の授業は面白くなかったと言う人が多いが、それは分かっていない先生に習ったからだね。僕の「倫理・社会」の授業で面白くなかったと言う教え子はほとんどいなかったと思うね。

     

     ところで、僕が22歳のときに気づいた「世界認識」の方法は、日常生活では決して気づかない事柄で、1年間サラリーマンをし、その後1年浪人して教師になったわけだが、『とてつもなく大事なこと』に気づいていたはずなのに、そのことを忘れていることがある自分に気づくわけだね。

     もともと、「ゴータマ・シッダールタの冒険」の最初のエッセンスは「和歌山大学経済学部」新聞会が1度だけ出した雑誌「法螺話草子(フラワーブック)」に掲載した、僕の経済学部の卒業論文「異次元への旋廻」が元になっている。

    この「卒論」の末尾に掲げたアフォリズム風の断片がそれだね。(『ゴータマ・シッダールタの冒険』にその部分所収)

    22歳で、確かに僕はあることに気づいていた。

    けれど、それを、詳しく展開するには10年以上の歳月が必要だったのだよ。

     そして、この「反世界」と名づけた次元についてだが、ごく初期には、多分、これを「忘れてしまったとき」もあったような気がするのだよ。今となってはそれを忘れた状態がどういう精神状態なのか、自分の心の状態として思い浮かべるのが困難なくらいだが、確かに『何か大事なことを忘れている状態』と意識される状態があったわけだよ。

     

     24歳で教師になったわけだが、22歳から24歳までの間は、時々、忘れていたと思えるし、完全にそれが定着したのはあの本を出版した34歳のころ、そして、そしてその「反世界」の広大無辺な広がりや、可能性、一切の宗教を包括する荘厳さなどへと認識が広がって、今に至るまで、更に25年が経過しているわけだ。

     『反世界』=『彼岸』は何でもありで、何でも飲み込む。なにもかもがそこから出てくる、ドラえもんの「どこでもドア」を見えなくしたようなものなんだよ。

     誰でも心の奥底に、『どこでもドア』を持っているのさ。そこを開けると、異次元の世界まで行ってしまえるようなね。そして自覚していないと、そこから変なやつが知らない間に出てきて、自分の心を乗っ取られることもあるかもしれないね。

     禅では心を鏡に例えることもあるね。何でも映し出す鏡さ。何も無いスクリーンに次々と浮かぶ表象が心の動きなんだよ。そこで心の本体は鏡だと言うことになるわけだけれど、ただし、実は、鏡と言うのも比喩で、その鏡の実体は無い。

     鏡も、「どこでもドア」も比喩だけれど、本当はどのような比喩も不可能なんだね。それが「彼岸=反世界」なんだよ。

     僕は何が出てきたって、何と出会ったって、この世に不思議は無いと思うね。実際は、この世に誰も知らない不思議が、人々が知っている不思議の何十億倍もあるだろうね。

     

    年齢を重ねるほど多分境地は誰でも深まるのだろうけれど、もちろんお釈迦様ほどでなければ境地の完成と言うことは無いよ。

     禅の修行者が、自分の境地はお釈迦様と同じだと言う事もあるけれども、まずそんなことはないと思うよ。「反世界」の次元に気づくだけなら、22才の僕でも、何かの縁があれ気づくのだから、もちろんそんなものが境地の完成であるはずが無い。 

     

     だから僕の人生は、22歳で気づいたことをただただ深めると言うところに、この点に関しては、意味を見つけざるを得ないわけだね。

     

     さて、これで、ようやく君の最初の質問に答えることになるわけだが、そういうわけで、僕が保守活動を始めたこととと、『反世界』への気づきには、自覚的には関係は無かったと思うよ。もちろん、本質的には、その何かに導かれてここまできたと言うことはあるだろうけれども、保守活動の初期には自覚的ではなかったね。

     

     僕が保守活動を始めたのは、「教育委員会」と言うものが、日教組と対峙しているどころか、実質的にその支配下にあることを30代の終わりころに気づいたからだね。

     日教組が準備した踏み絵を踏まないと、大阪府教育委員会では、そのころは(多分今も)中枢には上らないんだよね。例えば「わが国はあの戦争で2000万人のアジアの人々を虐殺した張本人です。」というような、「ばかげた反日文書」を全校生徒に配って読ませるような左翼支配の学校で、それを推進したり、異議を一切述べなかったような人物が教育委員会の幹部になってゆく、それがエリートコースなわけだね。

     これは全国的にずっとそうなっているね。

     それでも出世のために皆我慢しているわけだね。そして校長になり、退職してから、「在職中は言えなかったが・・・」と言って日教組批判を始めるわけだね。著名な方にもそういう人が多いね。

     

     僕はそういうことはいやだと思ったわけだ。だから『悟り』とは直接の関係は無い。

     それから僕がしてきた活等について、ついでに言うと、保守系の市民団体と連携して、教育長と直接交渉したりした経験は、結局大阪府では僕とほんの数名の教員しかいない。

     そういうことをする立場からだけ見えてくる世界があるわけだね。左翼の労組の幹部はいつもそういうことをしているわけだね。

     そしてそれが結局役所の権力機構を支えているわけだ。

     構造を分かっているものしか権力は支えられないからね。

    素人の政治家が、官僚機構(教育委員会事務局も同じ)のからくりを見抜くのは至難だね。

    そういうわけで、教育界の権力構造における左翼支配は、なかなか払拭できないわけだ。

     

     僕の行動や、決断の仕方には、間違いなくその当時も『反世界』の自覚が関係していたに違いないが、その保守活動の細部に『反世界の自覚』を関連付けるほどの内的体験の成熟は無かったね。それが、さっき言った、直接の関係はないと言う意味だよ。

     さて、僕は自身の宗教的認識が、わが国の根幹を成している八百万の神々や、皇室を戴く国体と深く関係していることを、年齢を重ねるにしたがって気づいていった。

     やがて、歴史そのものを、個別の事象ではなく、流れてゆく精神現象の変遷のように感じるようになった。まるで、そこに種子が芽を出し、やがて巨木に育つのを見るようにね。

    あるいは、無数の芽を出さずに今も眠っている種子のことも、いつもどこかで感じるようになっていったね。見えない世界が見えてくるようになってゆくわけだ。僕はやはり昔から、そこで起こった個別的なことよりも、本質的なことに興味があるのかもしれないね。お世話になった個別の人のことは忘れないつもりだが、つらかった個人的体験は、個別的なことなので、それを本質的な認識に変えると根こそぎ解決されるわけだね。

     

      結局、南木君の『悟り』は禅と一緒なのだろうか、違うのだろうか。

     

      僕は自身の体験を深めることが最も重要だったので、宗教家との付き合いはあるが、結局誰の弟子にもならなかったね。禅に関しても、深い縁があれば誰か、私が師と仰ぐ老師に見える事もあるかと思っていたが、今に至るもないと言うことは、無くても良いのだろうと思う。ごく初期に後に述べる山下謙蔵先生から自信をつけていただいたことはあるけれどもね。

     そのことに関して、君に先ほども言ったとおり、ごく初期には「反世界」を忘れる事もある。

     このことは昔、若いころ、あの本を出す以前か、出してからかは忘れたが、君に、

    「悟りは忘れる事もある。」

    と言う話したことがある。

    「悟りを忘れる?」と君は驚いていた。

    もちろんこのときの「忘れる」は修行を「完成」して『悟り』からも自由になると言うレベルの「忘れる」ではなくて、文字通り、単に忘れると言うことだけれどもね。

     

      忘れたままだと、どうなるわけかね。

     

      ただそれだけ、その気づき以前の人生、つまりほとんどすべての人と同じ心理状態の人生を歩むことになるわけだよ。ただ、『悟り』と言っても、ぼんやりとは、すべての人はこの次元に気づいているのだけれどもね。特に日本人はそうだと思う。

    日本人の霊性は特に深いと言う事はできるね。

     

    友  忘れたのをどういう機会に思い出すのか、教えてもらえると助かる。

     

      それは、やはり「あれは何かとてつもなく重要だった」と言う記憶があるかないかだろうね。そして、それが本物であれば、僕は「忘れることもある。」と言ったけれども、もっと本当のことを言うと、多分、一時的に忘れたような状態のときがあっても、向こう側がその人を放さないようにも思えるね。忘れるとか、思い出すとか言う、そのこと自体が生起する心そのものの彼方、その裏側を見たと言うことなのだからね。

     

     けれど、このことでひとつとても感謝していることがある。まだあの「ゴータマ・シッダールタの冒険」を出版せず、和歌山大学新聞会の「法螺話草子(フラワーブック)」にしか、このことはどこにも書かれていなかった時のことだ。

     僕は大学時代、空手もしていて、クラブの顧問であった山下謙蔵先生(もと和歌山大学教授、京都大学文学部ドイツ文学科卒、専門はゲーテ。禅宗の印可を持つ在家師家)のご自宅によくお邪魔していたが、卒業前後だったと思うが、あの雑誌の「反世界」について書いた部分を読んでくださっていて、「南木、俺はあれを読んで、ビリビリーッと来た。」『ひとつ調べてやろう』と言うことになって、調べてもらった。あの時、先生は

    「南木はそれでよい。それで行け。」と言ってくださった。

    ご本人はもうお忘れかもしれないが、この一言は僕にはありがたかったね。

     

     さて、卒業してからも、何度か僕は山下先生宅にお邪魔していたが、多分「それでよい」と言ってくださってから半年もたっていなかったと思うが、恐らくサラリーマンをしていたときか、もしかしたらそれより少しあと、浪人していたときかもしれない。

     同じように『調べて』もらって「おや、忘れたか」と言われたわけだね。

    確かにその瞬間『忘れた』ことが自分でも分かっていた。

    「どうやら、忘れているようです。」

    「それはもったいない。」

     もちろんそのあとまた「思い出して」、そのことを先生に確認していただいたわけだが、初期の僕のレベルはそれくらいいい加減なものだったわけだよ。

     

      なかなか面白い話じゃないか。それで、結局、同じことばかり聞いて申し訳ないが、禅の悟りと同じか、違うか、どうなんだろうか。

     

       そういう問いはほとんど意味が無いだろうね。山下先生が「調べた」のは僕の「反世界」と名づけた次元が、仏教の、特に禅宗で言うところの「法身仏」、「父母未生以前の本来の面目」の最低限のところをクリヤーできているか、調べてもらっただけだね。

     そして、この次元を(無意識でも)知っていて、その上に教義を作り出しているのが本物の宗教であり、そうでなければ 本物の宗教ではないと言うのが僕の考えなので、まあ、言ってみれば僕の考えは『南木教』とでも言うしかないね。

     禅ではもちろん上記のことだけがわかって、それでよしとはしない、そこを出発点として、どのような場合にも適切な判断ができる人間を育てるために修行させてゆくわけだね。

    「忘れる」場合だってあるんだからね。いい加減な修行で済むはずが無い。

     

     昔の高僧の「公案」など読むと面白いし、大変勉強になるが、どの「公案」もその当時の古典や、先人の「公案」をお互いが十分知っていると言う前提での対話の記録であり、よくよくの学者でも、その全体を、その当時の師家の思いそのままに理解できる人は少ないのではないかと僕は思っているね。唐宋の禅僧はもちろんのこと、わが国の偉大な老師たちでも、その禅問答の前提となる教養なくしては、到底その細部は理解できないのじゃないかと僕は思うね。それにもかかわらず、その本質はおおよそは分かるところが面白いわけだけれども。

     本物の師家が現代のわが国におられるなら、相手が誰であっても、完全に現代人の言葉で、オリジナルの「公案」をつくり、それを弟子に与えて、じっくりと考えさせることができるだろうと思うね。

                                    


    (
    この稿 終わり)

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